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親が死ぬなんて考えたことがなかった。
若かったと思います。当然のように親がいて、親は健康で…そういう毎日に終わりが来るということを、想像したことがなかった。若いということは、愚かということでもあるのです。
同時に、無力さを知りました。親といえど別人格の存在の、思想・行動を制限などできません。拷問なんかできませんからね。
信仰であるなら、なおさら。私たちには信教の自由が保証されています。
私が、天理教を死んでも信仰できないのと同じで、彼らもまた、天理教をやめることはないのです。